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Selfishly

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追跡者 8章



真実が正しいなんて、誰が言ったんだろう。
 追い詰め、追求し、全てを曝け出させた後に、
 屍のように横たわる真実に、人は皆、目を逸らし、去っていく。
 
 だから俺は、そんな真実は要らないと思っていた。
 自分の中に、点々と落ちている真実への欠片を拾い上げ、
 大切に仕舞い込む・・・誰にも見せないように。
 
 真実は決して、優しくないと解っていたから…。



 *****

「兄さん…」
 控えめな、弟の自分を呼ぶ声で、エドワードは今、
自分がどこに居たのかを思い出す。
 ここは東方からも遥かに離れた、西と北の国境の境だ。
 吹きすさぶ風は、いち早い冬の到来を告げており、このままここに居れば、
春まで動けなくなることも。
「…… 一旦、戻るか」
 観念したように呟かれた言葉に、アルフォンスは喜んで賛同を示す。
「そうだよね。 郵送で報告書は送ってるけど、もう何ヶ月も戻ってないもん。
 皆、心配してると思うよ」
 あきらかにホッとしたようなアルフォンスの声のトーンに、
複雑な思いを抱きながらも、小さく頷いて返す。

「じゃあ、僕、汽車のチケットが何時になるか、聞いてくるね」
 そう告げてくる弟に、「頼む」と告げると、また、目の前の荒野に視線を彷徨わす。
 『何もない…』 目の前の大地は、冬に備えるためか、枯れ木と乾いた大地ばかりが目立つ。
 それが妙に、自分の心の描写と似ている気がして、エドワードは視線を外せなかった。

 ロイに告白された時浮かんだ気持ちは、喜びなどではなく、戸惑いと、そして、拒否だった。 
 エドワードにすれば、ロイが言った事は理解が出来ない。
 何故彼が、自分なぞを好きになったのかも…。
 将来を嘱望され、自身にも譲れない夢がある。 そんな彼が、
何故、こんな訳ありの子供を好きに、愛しているなどと言うのだろう。 
 そして、『答えて欲しい』と。
 エドワードには、彼が望むような答えを、返せる事さえ出来ないと言うのに。
 自分達は、彼の人生には必要の無い人間なのだ。
 時が満ち、自分達の夢が叶ったら、去らねばならない…。
 そこまで考えて、自分の考えに違和感を感じる。
『去らねばならない』と思ってる…俺?
 じゃあ、本当は去りたくないとでも言うのだろうか…。
 軍を? と自問自答し、軽く首を振る。
 それは有り得ない。 いくら、居心地の良い場所だとは言え、
あそこは自分達とは、違う世界なのだ。
 いくら格闘に優れ、錬金術が使えるとはいえ、エドワード達は研究者だ。 
 己の疑問点を追及し、探求するのが生業で、それを武器には生きていけない。
 なら、去りたくない理由は、一つしか残されていない。
 …… あの男が与えてくれる温かい手が、優しさが、触れ合いが、
これ程、自分に浸透してしまっているとは、自分自身、思ってもみなかった……。
 が、これは自分のエゴなのだ。 自分の罪を知って尚、
手を伸ばしてきたあの男に縋ろうとしている、醜い自分の、浅ましい…。
 だから、答えるものは自分には何も無い。
 恋も、愛も、自分には無縁なのだから …。

 エドワードは、寒々とした荒野に、最後に一度だけ目を向けると、
振り切るようにして、踵を返して歩き出して行った。



『兄さん、大丈夫かな?』
 置いてきた兄を気にしながらも、駅まで歩いていく。
 この村には、珍しく長く逗留し過ぎた。 勿論、古い文献が隠されていた館の蔵書が、
多かったと言うのもある。
 が、いつもなら最速で済ませるチェックも、今回は捗捗しくなく、
滞りがちだったのが、大きな原因だ。
 めっきり口数が少なくなり、食欲も確実に落ちている。
 自分の前では、元気な振りをしてみせてはいるが、時折、何かを考え込んでいる…と言うよりは、
悩んでいるのか、自分が傍にいても、意識を飛ばしているのは、感じていた。

『兄さんが、あんな風になったのって、イーストを立った後からなんだよね』

 前回戻った時には、イーストの司令部では、丁度、大佐の結婚話が、持ち上がって賑わしていた。
 最初は勿論、そんな事と兄が関係があるとは思いも付かなかったが、良く良く考えてみれば、
兄が東方に寄り付かなくなる時は、決まって大佐が関係した後だ。 前々回の時も、同様だった。 
『喧嘩でも、したのかな?』 そう考えて、頭を振る。
 喧嘩くらいは、しょっちゅうだ。 顔を合わせば、天敵とばかりに食って掛かる兄に、
大佐はいつも、面白そうにからかっては、楽しんでいたから。
 そう、大佐はいつも、楽しんでいたと思う。
 どれだけ兄が無礼を働こうとも、悪態をつこうとも、自分の事なら、
それは嬉しそうに、楽しそうにしていた。
 それにと、考える。 『今回も、大佐からは連絡が来ない』
 今までなら、ある程度の日数が経つと、どこから調べるのか、必ず帰還の連絡が届いていた。
 が、今回も一度も、連絡がやって来ない。 自分達は移動しているわけではないのだから、
いつもより連絡も取りやすい筈なのに。
 
 派手な兄のおかげで、余り目立たないが、アルフォンスも優秀で、明晰な頭脳を持っている。
 この一連の事柄から、事情までは察せないが、何となく二人が自分には秘密の事柄を、
持ち合っている事に思い至る。 
『ちぇ、別に僕に言ってくれたって、良いじゃない』
 人の機微に関しては、兄よりも遥かに通じている弟は、
何とはなしに二人の間に流れているものを察して、面白く無さそうに口を噤む。




 *****




 エドワード達が、東方司令部に近寄らなくなって、暫く、季節が変わるほど経った頃、
1通の指令書がセントラルから送り込まれてきた。
 総統府の紋章が押されているそれは、国家錬金術師に課せられる任務を示す。

 ロイは、重くなる気持ちを隠して、送られてきた封書を開けると、中に書かれている指令を読み出す。
 そして、しばらく考え込む素振りを見せていたが、徐にその封筒を仕舞い、
 その後、自分の優秀な副官を呼ぶ。



「えっ? 居ないって、どう言う事なんですか?」
 取りあえず、先に連絡だけでもと説得するアルフォンスの言葉を、素知らぬ顔で流す兄に、
 業を煮やして、アルフォンスが代わりにと連絡してみれば、返ってきた答えに鸚鵡返しに聞き返す。
『軍の事なんで詳しくは言えないのだけど、そこにエドワード君は居るのかしら?』
 中尉の言葉に、返事を返すと、急いで、エドワードを呼ぶ。
「兄さん、中尉が代わってくれって」
 いきなり突きつけられた受話器を、渋々受け取りながら、交代する。
「中尉、久しぶり…」
 罰が悪そうに挨拶をするエドワードを気にするでもなく、中尉は「元気にしていた?」と
 優しく挨拶を返してきてくれる。
「うん。 俺らは、元気にしてたぜ。 で、そっちに何かあった?」
『ええ、何かと言う程ではないのかも知れないけど。
 実は、先日、総統府から指令書が届いたの』
「総統府から?」
 中尉の言葉に、エドワードはピンと来た。 総統府からと言えば、国家錬金術師への任務が、
 直接舞い込んで来たと言うことだ。
「ん、じゃあ、早めに還った方がいいよな」
『それが違うのよ…、大佐が出かけられたの』
「大佐が! 何だよ、よっぽどの事件なのか?」
 中尉の返答に、少々驚きを隠せない。 東方に総督府から指令が届くと、
 余程の事がない限り、エドワードが動くのが普通だ。
 東方には錬金術師は2名しかおらず、1人は司令官代行を務めているのだから、
 おいそれと司令部を空けるわけには行かない。
 と言う事は、余程の事件が起きて、大佐の司令官としての能力が必要になると言う事なのだが。
(司令官としての能力……?)
 その事に思いついて、ドキリとする。 そこまでの事と言えば、想像出来るのは、戦だ。
 勿論、テロの場合もあるが、その場合は総統府からではなく、直接の上司から回ってくるだろう。
 が、それならば、中尉が知らない筈もないし、一緒に出かけてないのはおかしい。
 戦が始まれば、大抵は直属の部下は付いていき参戦すると聞いている。
 ホークアイ中尉にしても、前の戦の時から、大佐と一緒に闘っていたはずだ。
『いえ、それがそうでもないようだから、困っているのよ』
 困惑気味に語られた話を纏めると、確かに総統府から指令書は届いたが、
 至急や緊急という連絡があったわけでも、書かれていたわけでもない。
 任務自体も、事件と言うよりは、調査に近いもののようだ。
 ようだ、と言うのは、任務の内容は詳しくは聞かされていないせいでもある。
 大佐は、調査が入ったから、日程を調整してくれと語っただけで、場所以外は、
 追って連絡すると言うと、そのまま、出て行ってしまったのだ…一人で。
「一人で~!?」
 いくら調査とは言え、軍の高官が、一人で出かけるなぞ、問題外だ。
『そうなのよ。 本来なら、絶対に認められない事なんだけど、総統府からとなると、
 強く言うわけにもいかなくて……。
 
 それに今は、セントラルのヒューズ中佐からの連絡で、西方に妙な動きがあるから、
 自重するようにと言われていた後でもあったんで、余計に…』
 中尉の躊躇いから、正確に察して、エドワードはするりと言葉を告げる。
「わかった。 俺が、追いかければいいわけだよな」
『お願いできるかしら?』
 申し訳なさそうに頼まれる言葉に、エドワードの方が、済まない気持ちになる。
 多分間違いなく、その任務は自分宛か、大佐から自分に降りる任務だったに違いない。 
 それをホイホイと司令官が出かけるなぞ、考えるだに馬鹿としか思えない。
「任せとけ! 首に縄つけてでも、連れ帰って見せるから」
 力強く告げられた言葉に、微かな笑い声が届いてくる。
『ええ、宜しくお願いするわね。 戻ったら、仕事が山積みで雪崩を起こしそうですと、
 伝えておいてね』
「あはは、そんなん言ったら、余計に逃げるんじゃないの?」
『その時は、本当に縛り付けてでも、逃がさないようにね』
「アイアイサー!!」

 電話を切ると、アルフォンスに事情を話し、先に司令部に戻るように告げる。
「えっー、僕も一緒に行って、お手伝いするよ?」
「アル、東方とは違うんだぜ。 しかも、総統府からとなると、
 民間人は関与できないの知ってるだろ?」
 民間人のアルフォンスが、色々と事件の手伝いを出来るのは、
 それを大佐が認めている東方地区だからだ。 本来なら、いくら助手を兼ねているとは言え、
 そうそう司令部の中枢、司令室まで度々入れるはずが無い。
 それさえも、特例処置が施されているのは、色々な軍を渡り歩く内に解ってきていた。
「えっ、東方じゃないの? 一体、大佐はどこの調査に行ったんだろ?」
 そのアルフォンスの疑問に、エドワードが先ほど聞いた町の名前を挙げると、
 軽く驚きを示しながら、返事が返ってきた。
「それって、ここから近くの街だよね?」
「そうなんだ。 なら、俺らに言えば、すぐに動けたのにさ…。
 一体、何考えてんだか」

 兄は呆れたような口ぶりだが、アルフォンスには、
 何となく大佐の行動の意味が解るような気がする。
 そして、多分…軍の皆もわかっていたから、引き止めれなかったし、
 兄に迎えに行くように伝えたのだろう。
「ん、わかった。 そう言う事なら、仕方ないよね。
 じゃあ、僕、先に戻って、皆のお手伝いでもして、待ってるね」
 急に聞き分けの良くなった弟に、怪訝な表情を向けてくるが、
それを問いただす、適当な言葉も思いつかなかったので、「頼む」と声をかけて、
それぞれの荷造りを始める為に、宿に戻る。


 一方、こちらでは…。
「全く、どうなってるんだ!?」
 簡単な調査の筈が、何故、今自分がこんな状態に陥ってるのかがわからない。
 いや、心当たりが有り過ぎてどれかを判断するのには、判らないと言うのが正しいだろう。
 頭の片隅で呆れた表情を見せている友人の面影を、舌打ちをする事で打ち消しておく。
 調査自体は、すんなり終わり、後は、本来の目的地に向かうだけだったのだ。
 総督府の威光をかざして、中尉から捻出した時間の大半を、
 実は別の目的に使おうとしていたのが、悪かったのかと…反省はしないが、
 今の状態から考えると、天罰覿面と言われても仕方ない事だけは、理解できる。
 小さな街では、隠れる場所なぞ知れている。 仕方ないとばかりに、
 目の前に広がる森に身を潜めようと、足を踏み入れていく。

 ロイが踏み込んで行く本の少し脇に、朽ちた立て札が転がっている。 
 [帰らずの森] 立入るべからず   と。


 ***

「はっ? 戻ってない?」
 ロイが森に足を踏み込んだのと入れ違いに、エドワードはその町に着いていた。
 特に極秘の調査でもなかったから、相手の宿泊先を調べる事もすんなり行き、
 宿泊者が今日、旅立つ予定だったのも、聞いた。
 が、夜半に大きな物音と、複数の人間の慌しい足音を聞いたかと思うと、
 その部屋はもぬけの空になっていたのだ。
 エドワードは、銀時計を見せて、その部屋を検分させてもらう。
 部屋には、荷造りが終わっている鞄が一つと、少々、荒れた部屋模様が窺え、
 エドワードは顔の表情を引き締めた。

 後ろから案内で付いてきた宿の親父に、その時の状況を聞かせてもらう。
「いやぁ~、兎に角煩いから、静かにしてもらわんと困るだろ?
 なわけで、上に昇って、文句言おうとしたんだわさ。
 そんだら、入り口の扉は開けっぱなし、窓も開きっぱなしで、無用心にも程がある。
 こりゃ、一言注意せんといかんと思って、中を見てみたらば、だ~れもおらんのじゃ。
 全く、出かけるなら出かけると言ってもらわんと、いくら軍人さんでも困るのぉー」
 この状況で、そんな暢気な推測をする親父に、エドワードは肩の力が落ちる。
 確かに、この平和そうな町では、争いごとなど、酔っ払い同士の喧嘩位なのだろう。 
 さて、と窓から一望できる位の小さな町を見渡す。 この町は、殆どが木造だ。
 しかも、かなり老朽化している。 となると、大佐お得意の練成をするにしても、
 かなり躊躇ったのはわかる。
 いくらコントロールが抜群だとはいえ、標的は動く物体だ、
 全てが確実に狙えるかといえば、そうもいかないだろう。
「おじさん、あの森って結構、大きいよな?」
 町の向こうに、延々と広がる森が見える。
「ああ。 あれは、隣の県境まで続いとるんだわ。
 でも、あそこには人は入れねえよ」
「入れない?」
「ああ、『帰らずの森』ちゅうてな、中に入った者は出てこれないんで、
 そんな名前が付いたちゅう位、危ない森なんだわさ。
 あんたも、お連れさんも、あそこには近寄らんようにな」
 その後、荷物と部屋はそのままに頼み、宿代に上乗せして渡すと、
 おやじは機嫌よく預かる事を告げるのを聞いて、町に探しに出る。 
『まさか、あの森に隠れてるなんて、馬鹿な事やってないだろうな』
 宿の親父からの言葉だと、どうやらあの森では、磁場が狂っているのだろう。
 鉱物関係と地質は密接な関係があるから、大体の所は想像が出来る。
 そんな中に、何の装備もなしで入り込めば、例え国家錬金術師として有能な男でも、
 無事には済まない。
 この町が、何故細々とでも暮らしていけるのかと言うと、
 あの森から湧き出ている豊穣な地下水のおかげなのだ。
 広がる樹林は、栄養分豊富な養分を地下水に染み込ませ、地上に湧き上がっている。
 それを沸かして使っているこの町は、ひなびた温泉街なのだ。 
 多分、今回の調査も、水に溶け出している養分から、
 何か軍が目を惹くような鉱物の形跡が認められたからだろう。
『そんなの、俺の得意分野じゃないか』
 そう考えても、この任務は自分にやってきたのに違いないのだ。
 それをノコノコと出てきては、どうやら狙われたらしい。
 敵の多い自分の事を、忘れてるんではなかろうか?
 まず間違いなく、イーストから付けられていたか、先回りされていたかだろうが、
 先回りしているなら、少々厄介な事になる。
 が、どちらにしても、先に相手を見つけないと、もっと大変な事になるのは、
 目で見なくてもわかっている。
「大佐、動き回っているなよ」

 町は1時間もあれば見て回れる程の広さだったから、ここに探している人物が
 隠れていない事は、薄々気づき始めていた。
 エドワードは必要になりそうな物を手早く買い、町外れに向かって足を進める。 
「とっ」
 遠くで動く人影に、反射的に隠れると、そっと様子を窺う。
 数人の者が、ウロウロと周囲を検分しているようだが、森の中に入る様子は見せてない。
 エドワードは隠れながら、静かに近づいていくと、声が聞こえる場所で、息を殺して潜んでいる。
「この森に入ったのは、間違いないのか?」
「はっ、入ったと思われる所に、人が通った形跡があります。
 多分、ここから森に潜んだと思われます」
「ちっ、拙い所に入りおって。 仕方ない、この後の事は指示を仰いでからにする。
 とりあえず、一旦隠れ家に引き上げるぞ」
  男達はどかどかと用意していた車に乗り込んで、立ち去っていく。
 その統制の取れた動きや、彼らの言動から、軍の関係者だと判別する。
 エドワードは、車が立ち去った方角を確認した後に、手早く緋色のコートを脱ぎ、
 手をその上で打ち鳴らす。
 そして、静かに森の中へと踏み込んで行った。



「全く、散々だな」
 小さな薪を火にくべながら、ロイは深々と嘆息する。
 しばらくの間と森に入ったはいいが、まさか潜もうとした木の根が腐っていたとは思わず、
 足を踏み込めば、そのまま地層が切り替わっている下まで、滑り落ちる事になった。
 土が軟らかくなっているその場所は、上るのには無理があり、迂回して登るしかなかったのだが、
 迂闊に動けば、更に危ない事になるのがわかっているため、
 動きたくとも動けない状況に陥っているのだ。
「こんな所を鋼のに見られれば、どれだけ悪態を付かれるか」
 完全に連絡が途絶えれば、中尉たちが動き出す事はわかっている。
 が、それには日数が数日はかかるだろうし、そこまで大事になれば、
 上層部に知られないわけにはいかない。
 出来れば、内密に戻れるほうがいいのだが。と嘆息を付きながら、背の木に凭れかかる。 
 闇が近づくにつれ、天候にまで裏切られたのか、シトシトと雫が落ちてくる。 
『全く、散々だな』 先ほど呟いた言葉と全く同じ言葉を、心の中で思い浮かべる。 
『雨は、今後も好きになれそうもない…』
 周囲に湿気が充満してくるのを感じながら、雨の記憶が呼び出されていく。

 エドワードに想いを告げた時に、彼は首を振るばかりだった。
 急がなくて良いからと告げるロイにも、頑なに頭を振り、雨の中を逃げるようにして去っていった。 
 あの日のエドワードが、今までになくセックスを積極的に受け止めていてくれたのは、
 彼のあの時の行動でもわかっていた。
 彼からの初めての口淫は、驚きも強かったが、当然、それ以上に喜びもあった。」
 拙いながらも、たどたどしく施す姿は、それだけでもロイには強い刺激と、
 広がる満足感を与えてくれた。
 だから伝えられたのだ。 『好きだ』と。 『愛している』と。
 嫌いな者に、躊躇わずに身体を拓く者も、繋げれる者もいない。
 だから、あんな関係を続けていながらも、エドワードがそれを本心で
 嫌がっていない事はわかっていた。
 身体は正直だ。 欲しいものは欲しいと告げ、嫌なものには反応が悪くなる。
 いつものエドワードからは、考えられない積極的な姿や、貪欲な姿勢は、
 ロイを欲しがっているから以外の何でもない。
 だから、自分も常以上に煽られたし、止めれなくなったのだ。
 なのに、エドワードは首を縦には振らず、ロイにも逢わずに、
 逃げ出すように、去って行ってしまった。
 辛そうな、哀しそうな表情を浮かべたまま……。
 その意味が問いたくて、聞かせて欲しくて、ロイは追わずには居られ無くなった。
 馬鹿な事をしていると、愚かな衝動だと思うが、今を逃せば、永遠に彼には逢え無くなるのではと言う、
 確信めいた不安が、自分を突き動かすのを、止めることは出来なかったから。
 それが今の現状を招いた、己の愚行だとしても……。


 ***

「くそっ! 雨まで降ってきやがった」
 森に入って闇雲に探すような愚かな事はせずに、根気良く先ほど目算をつけた周辺を必死に検分する。
 人が通れば、僅かでもその痕跡が残る。 勿論、用意周到に隠されてしまえば、わから無くなるが、
 あの状況ではそれはないと踏んでいる。
 ロイにしてみても、やり過ごせば出てくるように算段をしていた筈だ。
 なら、何故出てこないかだ。 彼なら、別の方向からでも抜け出す事くらい、出来るはずなのだ。
 が、そうでないから、ああやって追っている者たちがたむろしているのだ、
 と言う事は理由は一つ。 抜け出せない状況に陥っていると考える方が、間違いないだろう。 
 夜になれば、状況は悪くなるばかりだ。 ここいらは、東方と違い夜の冷え込みも半端じゃない。
 湿地帯は、それでなくとも気温の寒暖が激しいのだ。 もし最悪動けない状態なら、早めに助け出さないと…。

「全く…。 焔の大佐が凍死なんて、いい笑い者になるぜ」
 焦る気持ちを軽口で消そうとするが、口に出せば逆に不安は募ってくる。 
 そんなエドワードの決死の探索が功を奏したのか、漸く人が通ったばかりの形跡を見つけた。
 しかし、 雨は、痕跡を隠していく。 後が辿れ無くなると、探索はあきらめるしかなくなってしまう。
 間の悪い雨が降る中、込上げてくる焦燥感に駆られながら、
エドワードは暗闇が視界を悪くする中を、必死に消えていく跡に目を凝らし追い続けていく。

 暗くなる闇の森の中に、低い鳥の鳴声が木霊している。
 周囲の状況に重なって聞こえる鳴声は、弱弱しく哀しげに響き、
エドワードの心にも見えない重圧を押し寄せてくる。
 入るときに結び付けてきた命綱の糸も、残りが僅かになってきている事を手のひらに、
 か細く訴えてきている。
 エドワードは悴む手に白くなった息を吹きかける。
 大声で、探している相手を呼びかけたい気持ちを押さえ込みながら、
 慎重に痕跡を辿る地道な行動を続け…、一本の大きな木の下で、抉られた片側を見ると
 険しい表情で走りより、周囲を探る。
 隣に枝が茂っているため、普通に見えるが、その先は、断層が違って落ち込んでいる。
 まさかと思いながら、他の痕跡を見るが、そこ以外、ぷっつりと切れている跡に、
 ロイがここに落ち込んだ事は、確実だろう。
 その事実に麻痺していた思考が追いついた時、エドワードは寒さ以外で
 身体が震えてくるのを止められなくなった。
 暗く底の見えない崖下を、縋るような思いで凝視し、押さえ切れない小さな呼び声が、
 自分の口から零れている事も気づかずに
、虚空に呼びかけ続ける。
「大佐…。 たいさぁー」
 暗闇に吸い込まれるように消えていく声は、愛しい人に別れを告げる哀歌のように紡がれていく。
 止めてしまえば、もう2度と逢えなくなるとでも言うように……。

 過去に温かい腕を2度失い、それ以降エドワードにとっては、人とは温かさを伴わぬ生き物になった。
 それを変えたのがロイで、与えれたのもロイだけだった。
 それは、冷え切っていたエドワードの身体にも心にも、衝撃的な出来事だった。
 僅かな温もりを分け与えようとして来た人々を避け、自ら律した意思を覆す程の勢いで、
 侵入し侵食し、エドワードに人の温もりを思い出させ、交わりを教え込んだ唯一の人間。
 その唯一の人間を…。
『あいつを失う…?』
 それを実感じた今、冷え切った身体よりも更に冷たく凍る胸が、エドワードの心と同調するように、
 激しく痛み出す。
「つっ…」
 突き上げる衝動と、激しく拒否をする体が痛み軋みを訴えるのを、
 自ら抱きしめるようにして蹲り堪え、やり過ごし…、
 そして、暫くそうして息を整えると、蒼白な面に強い光りを湛えた瞳を見せ、立ち上がる。
 失えない人間を、無くしてしまう前に。



『猫が啼いている…?』
 小さな鳴声が聞こえた気がして、ロイはうとうとしていた気を取り戻すと、耳を澄ませてみる。
 それは猫ではなくて、子供の…。
「まさか?」
 聞き覚えのある声に、ロイは身体を起こして、暗い上空を見下ろし声を拾おうとする。
 切々と呼ばれているのは、間違いなく自分で、呼んでいるこの声は、
 逢いたいと願っていた者の声で、驚きで返す返事が遅れる。
 
 そして、暫く後に、ドサリと大きな音と同時に、飛び降りてきた物体に驚いたように目を瞠らす。
「テテテッ、くっそー、何でこんなに足場が悪いんだよ」
 悪態をつきながら立ち上がった少年は間違いなく、
「鋼の!!」
 思わず上げたロイの声に、驚いたように飛び上がり、自分を見つめ返してくる。
「君、どうしてこんな所に…?」
 思わず自分の境遇も忘れて、目の前の信じられない光景に、呟きが洩れる。
 それに鋭い視線を投げ返され、エドワードが恐ろしい形相を向けて、弾丸のように怒声を吐き出してくる。

「どうしてだとー!! この大馬鹿野郎! アホ! 無能! 考えなし!
 あんた、自分が何やってんのか、わかってんのか?
 わかってやってんなら、もう手も付けようがないほど、馬鹿丸出しだー!!」
 一息に言い切ると、ハァハァと肩で息をしながら、ロイを睨み続けている。 
「…… 済まなかった」
 その言葉以外に、言うべき事もなく、ロイは驚いた表情のまま素直に謝る。

 茫然と自分を見つめてくるロイの姿を見れば、自分同様ボロボロの有様だ。
 でも、生きている。 ちゃんと自分で立ち上がり、こうして自分を呼んで…。
 その姿に、不安と恐怖で張り詰めていた糸が、プッツリと切れると、
 押し寄せてくる安堵感が一斉に吹き上げてくるのを止めることは出来なかった。
「うっ……」
 いきなりペタンと座り込むと、エドワードが大粒の涙を零し出す。
 手で、涙を拭う事も思いつかないのか、天から降る雨の雫を顔中に受けながら、わぁわぁと声を上げながら、泣き出し始める。
 
 そんなエドワードの様子に驚き、それが覚めると、ロイは、恐る恐る近づきながら、
 激しく泣きじゃくる少年を、そっとその腕に抱きとめる。
「済まなかった。 心配をさせてしまったな、ありがとう」
 優しく抱きしめる少年が、自分を心底心配して、追いかけてきてくれた事は、彼の有様でも良くわかる。
 ところどころ服は擦り切れ、地盤の悪い斜面を降りてきたせいか、ドロドロになっている。
 手は、降りてくる時に握っていた綱のせいか、擦り剥けて痛々しい。
「こ、こんな森に…はい・・って、    雨・・まで、降るし
 どんどん・・暗くなって、 あ、跡・・見えなくなる・・し」
 泣きじゃくりながら、必死に訴えてくるエドワードに、ロイはどうしてやれば良いのかも思いつかず、
 唯ひたすら心から謝り続け、擦り傷だらけの顔に口付けを落として、少しでも傷が癒されるようにと、優しく触れていく。
 ポカポカと力なく自分を叩いて暴れる子供を、根気強く抱きしめる。 彼が、大人しく手に納まるまでずっと…。





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